Artアートの力について

アートの力


夏休みが明け、フリースクールで、アートセラピープログラムを1ヶ月ぶりに提供してきました。

子どもにとっては長い夏休み。少し大きくなっていました。元気な姿に出会えるとホッとします。

会えなかった子には、心は繋がっていると、想いを馳せ、信じて待っています。

アートセラピーでは、そこに限らずどのセッションでも、たくさんの素材、画材を用意していきます。

そして、子どもたちは好きなものを自由に使ってアートをします。

子どもたちは素材にワクワクし、感覚を楽しみ、組み合わせたり切ってみたり、手を動かしたりしながら想像し、試行錯誤し、創造していきます。仕上がらなくても、やってみた、体験した、感覚を使った、心を感じてみた、思考したなど、今を生きていることが大事なのです。

セラピストは子どもたちをサポートし、励まし、一緒に感動します。セッションが終わるとひとつやり遂げたキラキラした空気を感じます。

疲れてしまった子もいるでしょうが、嫌な疲れではなく、すっきりとした爽快感。そのアートたちは彼らの歩んだ功績、宝物です。

そのフリースクールで生まれた色々なアート表現を見ながら、小中学校での美術工作の陳列作品にはない、多様性と自由と想像力を見つけ、なんてキラキラ輝いているのだろうと思わずにはいられませんでした。アートが生きているのです。

決して、小中学生の生徒児童のレベルが低いと言っているのではありません。当然、彼らの技術や表現力は素晴らしいです。

ただ、感動を伝える展示方法や授業での教示のありかたに、アートを作り上げる過程に、心や感動が少ないのではないだろうかということです。

工場のように同じ素材や画材を与えられ、ただ言われるままに作ってはいないだろうかと考えてしまうのです。

枠からはみ出てみたかったり、他のものを作りたかったり、なんでこれをやらなきゃいけないのか不満だったりした子どももいたかもしれません。

そうした授業での生き生きとした躍動感が伝わらないのは何故でしょう。子どもたちは選んで作るという自由の中で、失敗を恐れず自ら動けたのでしょうか。

産業革命以降、一般の子どもたちに学校教育を始めた目的は、工場や会社で効率よく働くことのできる人材づくりのためと言われています。言われた通りに動き、無駄のない適切な働きと素直な賢さが求められました。

そこから生じた、枠に入れない者、生産できない者はいらないという空気は、悲しいことに今もあります。人は生きていることを味わうために生きていて、繋げるために生きています。お互いに頼らなければ、生きてはいけないのです。

現代は求められる人材も社会も変わってきています。学校教育も変わってほしいと思います。が、直ぐには、なかなか思うように進まないようで、変えようと努力している方はたくさんいらっしゃるのに、私の子どもの頃とあまり変わらないように感じます。

私が小さな子どもの時は、自由に作って想像して楽しんでいました。土や草花、広告の裏紙、端切れなどを何かに見立てて加工したり、家具や窓ガラスや本などに落書きしたり、身近にあるもの全てをおもちゃにして遊んでいました。

勉強面ではうるさい親でしたが、楽しく遊んでいることに対しては怒られたことはありませんでした。親からすれば、静かに遊んでくれれば問題なかったのでしょう。自由に遊ばせてくれた親に感謝しています。お陰で、世界は私のためにあるような万能感を持っていました。

しかし、小学校の高学年になると、与えられた材料と課題の中で見本通りにきちんと作り上げることに何の疑問を感じなくなりました。

与えられたものをこなし、点数で評価されるだけになると、自分から何かを作れなくなりました。創意工夫の制作課題は大の苦手になりました。

あれがないから作れない、この技術は子どもには無理だから出来ないと、始めから諦め、工業製品のように完璧なものこそ全てで、自分は何も出来ない惨めな子どもだと思っていました。

優劣がつけられる勉強に対しては学ぶ楽しみを失い、自分の言葉や思想を失いました。自己肯定感が低くなり、美術ならなんとかやれるのではないだろうかと、技術を磨くことに専念しました。

そうして、美術大学に辿り着いてみれば、独創性を求められ、オリジナルの思想思考を言語とアートで表現することを求められました。

私は、「私」というものを見失ったことに驚き、何をしたいからこれを学びたいというものもなく、計画性もなく、漠然とカリキュラムを選択し、失われた時間を取り戻すかのように遊びました。

つまり、新たに自分探しから始めるという大学時代で、今考えると、教授との対話のチャンスや授業、人脈の恩恵を無駄にしたように思います。

中学高校の時にしっかりと自分というものに自信を持っていれば、自立した大人として、大学ではもっと喜んで学んでいたかもしれません。

とは言っても、これが私で、これが私の生き方なので、後悔はありませんが、今の子どもたちには、もっと楽しい生き方をしてもらいたいと思います。

自信、自己効力感あふれ、自由な発想を持って、将来創造していくためのベース作りを、アートや運動、遊びの中で練習し、未来に繋げて欲しいです。

今回、フリースクールでは9回目のアートセラピーでしたが、子どもたちにアートを作り続ける根気よさと力がついてきたことに気づきました。自信を持って自分から積極的に動いていました。素敵な居場所があるっていいですね。

フリースクールの子どもたちは凸凹さんたちも多いです。学校の基準に収まらない自由さがありますが、否定されて、傷ついている子どもたちがいます。子どもは決して大人のミニチュア版でも、役に立たない未完成品でもありません。

大人も子どもも成長し続ける一個の命です。いろいろな大人がいるように、いろいろな子どもがいます。それなのに年齢で一括りに同じ枠に入れられて、比べられて、評価され、皆と同じように行動するのは、成長の速度も性格もまちまちなのにしんどいだろうなぁと思います。

私は幸い、小さな子どもの時のベースとアートがあったので、また運よく、理解のある先生や仲間がいたので、辛くて気が狂いそうな小中高校を乗り切れたのだと思っています。

私にとって、空想、読書、絵を描いたり作ったりすることは、現実から少し離れて休み、力を蓄える場所となり、自分だけの大切な空間、居場所でした。

アートには、粘り強さ、発想の転換、刺激、発散、驚きと喜び、気づき、発見、柔軟な思考、多様性の受け入れ、あそび、想像する力、協力、思いやり、理解、仲間と繋がる力があります。それらは子どもだけでなく、全ての人間の力になると信じています。


2021.9.16.  泊口 直江

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